昭和四十五年四月九日


X御理解第七十八節  「神の気感に適うた氏子が少ない身代と人間と健康とが揃うて三代続いたら家柄一筋となって、これが神の気感に適うたのじゃ。神の気感に適わぬと身代もあり、力もあるが壮健にない、壮健で賢うても身代をみたす事かあり、又大切の者が死んで身代を残して子孫を断絶して了ふ。神のおかげを知らぬから、互違になって来る。信心して神の大恩を知れば、無事健康で子孫も続き、身代も出来、一年勝代勝りのおかげを受ける事が出来るぞ。」

 皆さんこれを通読させて頂いてどうゆう風に感じられるでしょうか。本当な事じゃろうかゆう風に思われませんか。子孫も続き、身代も出来、一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来るぞ、とおっしゃるところなぞ、はたして本当に一年勝り代勝りのおかげを受けられる事が出来るであろうか。一生懸命信心するごと、こげな風に云うておられるのじゃなかろうか。子供の事は子供のこと、孫達は孫達、まあ、とに角自分だけがおかげ頂けば、自分達が実際におかげ頂けば、それでよいと云うてしまえば、それ迄ですけれども、やはり親の情と致しましては、やはり子供にも孫にも子孫繁盛家繁盛の一年勝り代勝りのおかげを受けてほしいと願わん者は有りませんけれども、これはもう例えば此所で云うなら、私が死んだ後での事、分からんです。そして、金光さまの信心頂いておる者が、皆んな例えば私共の周囲の先輩の方達の信心を見てです。本当にやっぱり金光さまの信心ちや、子の代よりも孫の代と子孫繁盛のおかげを頂いちやるとゆう事であればですね。それがその確証になるのですけれども、それが無い、かえって親の代より、子の代とゆうやうに細うなっておったり、なくなっておったり、とゆう事になる。そうゆうのが多いとゆう事である。
 教祖さまが嘘をおっしゃっておられるはずはないのだから、どうゆう事であろうかと。
 教祖さまが嘘をおっしゃっておられるはずはないのだから、どうゆう事であろうかと。神の気感に適うた氏子が少ない。ですから、たくさんなお道の信奉者が有るけれども、本当に子孫繁盛、家繁盛のおかげの受けられるやうな信者はもう本当にごくまれだとゆう事になるですねぇ。神の気感に適うた氏子が少ないと、神の気感に適わなければ、この結果のところは生まれてこない。子孫繁盛家繁盛、一年勝り代勝りとゆう事にならんですから。いよいよもって神の気感に適うたとゆう事はどうゆう事であろうかと、ゆう事になりますねぇ。それは、ここに神の大恩と知れば無事健康でと神さまの大恩を知るとゆう事、神さまの力を知るとゆう事。その神さまが、どのやうな働きをして下さるかとゆう事を、通念的なる事から、もう一歩前進して、私共はそこんところを分かっておかないと安心がいかない御教だと思います。
 神さまが生きとし生きる者の上にお恵みを下さる。又、ひとつここに思います事はねぇ、例えばそんなら私がここでおかげを頂いて、現在のやうなおかげを頂いておると致しましょうか。そうすると、子供がはたして、私と同じやうな信心を頂いてくれば、問題ないですよ。いや私よりも、もっと素晴らしい信心を受けてとめてくればね、それは問題ないです。それはおかげを受けられるだろうと、云うなら安心して、死んで行ける訳ですけれど、どんなに考えても、これは私だけの信心を頂いていないと、すると、これは子供に孫に、しかもこれは孫の子の代になったら、いよいよ分からないこと。
 ここには子の代より孫の代、一年勝り、代勝りのおかげが受けられるとおっしゃっても、これはやはり不安な事であり、いわゆる本当だろうかとゆう事になってくる、皆さん、そこんところに疑問を感じられんでしょうか。
 一生懸命親が信心して徳を受けて、そしておかげを頂いた。だから親のやうな信心を子供が又、受けてくれれば確かに受けられるだろうと思うけれどもそうとばかりはいけんのである。親は紙の大恩を知っておっても、子供は神の大恩を知っておっても薄い事になるだろうか。そしたら、おかげが受けられんのじゃなかろうか。いや、おかげを私共の周辺の人が受けていないと。
 先代の時には大変な御比例のたった教会が二代、三代になって段々、比例を落として了ふとゆう例はたくさん有る事。
 結局どうゆう事になるんだろうか、神の気感に適うた氏子と、そんなら神さまの気感に適うておられなかったのじゃろうかと、ゆう風に思うと、疑問が次々生まれてくるやうな御教ですねぇ。
 そこで私はこの神の気感に適うた氏子とゆう事は、家柄人筋となって、そうゆう信心が三代続いたらと、ひとつの固定すると云うか、そうゆう徳が固まると云うか、この辺のところが大事だと思う。自分の信心がいよいよ間違いなく子供に孫に伝わっておかげを頂くとゆう事、同時にそれが神の気感に適うとゆう事はです。大体どうゆう事かと、難しいですねぇ。
 Z『これはまあ私の体験であり、例でも有りますけれども親がどんなにきばりましてもね、親がどんなに子供にあああってほしい、こうあってほしいと願いましてもね。決して思いどおりになるとゆう事じゃないとゆう事。ですからね、もうどうなりますやうに、こうなりますやうにとゆうやうな願いはね、本当に云うたらもう願わん方がよい位、それでもやはり親子の情ですから目にあまるやうな事があれば願わずにはおれませんけれども、その願うと云うてもその願う内容が、只々どうぞと云うて願うだけではなくてです。やはり私自身がその事を通して、いよいよ信心を進めていくとゆう事以外にはないとゆう事、これは私の体験です。
 そこからですねぇ、そこから私の願いの通りにはならなくても願い以上のおかげになっていきつつあるとゆう事です。私は神さまの気感に適う信心とはね、そうゆう信心だとゆう風に思うです。ですから、そうゆう信心を例えば私自身が蓄積していくとゆう事はです。これが私は子孫繁盛とか、一年勝り代勝りとか、又親の代より子の代、子の代より孫の代といったやうなおかげにつながっていくんだなとゆう確信の持てれる信心。只、自分がこうやっておかげを頂いておるから、このおかげは必ず伝わると、云うて、いかにそれを信じやうとしてもです。それだけではね、やはり本当云うたら、心もとない。又実際はそれでは、おかげを受けていない事実をあまりにもたくさん私共の周囲に知っておる。ですから、結局はですねぇ、私自身が信心を進めていく以外にはないのですが、その進めていく進め具合とゆうものです。
 難儀な問題でもそうです。その難儀な問題を自分が難儀を感じるならです。そこから、やっぱり、脱皮したいとか、そこからぬけ出たいとゆう願いは、誰でも持ちます。
 子供が例えば立派になっていってくれるやうにと願っておっても、子供が親の思うやうにならない、と同じです。それでもやはり、一生懸命子供の事を願い続けてです。まあ、おかげを頂いたに致しましてもです。いわゆる、そんなら願い続けるものがなくなったら後はどうなるか分からない。
 そこで、これは私の体験として、只今も申しましたやうに例えば子供達の上にそんなら目に余るやうな事になりましてもね。そこから、おかげを頂かして下さい、とゆうのではなくて、私自身がね、それによって育てられる、と云うのか、それによって私が信心を進めていく、いわゆる願わずにおかげを頂くとゆう事は、私自身がいよいよ本当な信心になっていくとゆう事。
 まあ云うなら、成り行きをいよいよ大事にして、その事、それは難儀とか、ゆう事聞かないとゆう事は、まあ困った事ですから、困った事として、感ずるなら、感ずる程、私が一段修行させてもらって本当なものになっていくとゆう、生き方ですねぇ、信心を進めていきよりますとです。そんなら子供なら子供達が難儀なら難儀が、その難儀がいつの間にか、ぬけ出す事が出来ておったり、又子供達なら子供達が親の願い以上の願いを受けておかげを受けておるとゆう事実を私は見ます。それをなる程ああ有りますやうに、こう有りますやうにとゆう事は、いらんなとゆう事です。』
 私は今度、御本部させて頂きまして、豊美の所に寄らせて頂きました。家内も一緒でしたから、親子三人でゆっくり信心の話しをさせて頂く事が出来ました。今の合楽の信心を現在、こうゆうやうな事だと。
 まあ古川と云えばお道の名門ですが、名門の家では有りますけれども生き生きした合楽で感じておったやうな事は感じる事は出来ない。
 そこで私の話しをもう本当に新たなものとして頂くやうに、もうそれより他に道はない。もう、そうする事が一番おかげを頂く道だとゆう事をですねぇ、自分で感じとっていきよるらしいのです。
 そして、あの人の話しを聞きよってから思うです。そんなら、あの人が合楽でもう我ままで、とに角、我ままであのやうな生き方でしたけれどもですね。もう本当に神さまちや、それこそ手をとり足をとりしてお育て下さっておるなあとゆう事を感じます。
 もう、とに角おばあちゃんが二人おられる訳ですからね。お母さんとおばあちゃんですから、例えばお炊事ならお炊事させて頂くでもですね、もういつも、おばあちゃんの助手であり、お母さんの助手であればそれでいい訳なんです。
 もう本当に私がもし合楽で料理の勉強をしておったり、もっと例えば、私があんたばっかりはなあもしきらんな嫁入ったらどうするのと、言よったが、お倒産それがおかげだったと云うております。私が絶対性分から云うて出しゃばる方だから、それはおばあちゃんこうしたらいいですよ。お母さん私やこげんしよりましたと、云うにちがいはない。ところが自分自身が出来んもんですから、だから、お母さんについて行く以外にない。おばあちゃんについていく以外にない。かえってそれの方が、こあいらしゆう見えたり聞こえたりする訳です。
 こらおばあちゃんどうしますかと、あんたばっかりはいちいちせからしかのと思いなさろうばってん、それでまんざらそれが嬉しくないとゆう事はない。とゆうやうに例えば女が三人もおって、波風立たんでおかげを受けておるとゆう事は、私がもう出来ておらんじゃったおかげとゆう訳です。どんなに出来ておっても、私はあそこでお料理なんかを見ておってからです。その流儀が違うんですよ。ですから、合楽でどんなによい料理なら料理を作れるやうであってもです。それは、云わば鼻についてくるものに違いないし、特に古川の家は、もう古川独特の食べ物が多いのですよ。
 ですから、こちらで稽古をしていっておってもです。何にもならんどころかね。それがね、かえって出しゃばる事になったりする結果にしかならない。
 それは皆さんに例えば娘さん方にですね、嫁入り前の稽古やらせん方がええですよとゆう意味じゃないですよ。私共としてはです。してくれた方がよかった。
 和裁はもう出来んし、何日か稽古に行っただけで、もう気分が悪かとか何とか云うて、せんしね。お料理なんかは全然、もうあんたがお母さんの料理なら、どこでん向くよと云いますれども、それを実際に覚えやうとしないし、そして只自分の好きな事だけはもうお茶やら楽の事ばっかりでしたから、その一番好きな事だけが、あちらで今生きておるとゆう事になっております。
 特に、お茶やら花やら、云わば楽の方やらは、これはもうあの人だけのものとしてですねぇ、あちらでそれが非常に生きておる。
 もうこれこそお茶だけは毎日せんならんとですからねぇ、あちらは‥‥‥。ですからもう、朝から晩までお茶の手前をしておって、他の事は何にもしきらんでよか、とゆう感じなんです。しきらん事が、そしておかげであるといったやうな事になっておる。それでもう本当に何がおかげになるなら分からんとゆう意味の事を言うておりましたが‥‥‥。
 本当に云わば親の願い通りにはならなかったけれども、願い以上のおかげを受けておるとゆう事を感じます。
 そしてその根底にです。合楽の信心をやはり求め続けておる、なる程これでいけば、なる程子供の代より、いわゆる親の代より子供とゆうおかげが受けられるだろうとゆう風に思います。
 だから、神の気感に適うとゆう事はですね、そうゆう例えば働き、成り行きをですね、そんなら家内が豊美の事についても申しました。もう、お父さんああたが言いなさらんから、あの人がいよいよ我ままになるとゆうやうな事を申しましたけれども、ここだけはね、例えば豊美の場合を例で云うなら、親教会なら親教会に対してだけの、あの人の信心ぶりとゆうものを見ておって、それが間違っていかないかぎり、他の事は云う事はいらん、云う事を聞かんとか我ままとか、それは私も目にあまるものが有りますけれどもねぇ。言うても聞かないとゆう事を知っていますから。私自身が信心していく以外にはない。
 そして今から考えてみますと何人にもそうして出来なかった事やらがです。大変、おかげの元になっておるとゆう事をです。思わしてもらう時、神の気感に適うとゆう事。これは私と豊美だけの事では有りません。皆んなの他の全ての子供達も同じ事です。
 まあいかにも、云う事はいらん、いらんとゆう事は放任主義のやうですけれども、その眼にあまるやうなところをです。私自身が信心を深めていくと云うか、それによって私が信心を頂いていくとゆう事になっていけば親の願い以上のおかげが子供の上に表れてくるとゆう事。
 そこに至ってくる時です。はあ神の気感に適うとゆう事はね。そうゆう生き方だなあと。
 大徳を受けられた先生の息子さんを修行させる為にある教会に修行に出しなさった。大変、厳しい所に修行に出しなさった。ところがあまりに修行が厳しかった為に大変困った事になったと、ゆう事を聞きました。又、あるこれは本部の近所の若先生が同期で大変人が助かられる教会が有ります。そこの初代は自分の信心をどうでも受け継がせとかにやならんとゆうので、毎朝、毎朝子供のまあだ小さい時から、もう眠いのを起こして、そして奥城に、毎日、毎日お参りをされて信心を鍛えられた。やっぱ大徳を受けられとる証拠に大変な信者がある教会なんですねぇ。ところがそこの息子さんが交通事故で亡くなられた。だから、こうゆう生き方はねぇ、神の気感に適うた生き方ではない事を私は思います。いかにもよいやうであって‥‥‥。
 私も若先生が本部に修行に行く前、親教会で修行中の時分に神さまにお願いした事がある。もうちっと厳しい教会に修行にでも出したらどうだろうか、と思うた。
 そしたら神さまは成り行きを大事にせよとゆう事であり、耳納山の山頂をずーっと頂きましてね。もうわざわざ下から登らんでもいい。山頂をね低い、高いは少しは有りますけれども、山頂をずーっと歩けばいいのだと、だからそれは実に楽なやうです、例えば、うちの若先生の場合でもそげなこつでよかかとゆう事が有るけれども、それが上の頂上を歩いて行きよるところです。わざわざ自分が云わばつかまえといて、わざわざ眠かつを起こしてから、さあ奥城に毎月、毎月子供の時から、自分の信心を鍛えとかにゃならん、教えとかにゃならん、と云うてそうゆう教え方がいかに神の気感に適わんかとゆう事が分かります。
 これは私の場合でも、私が亡くなってみなければ、実際分かりませんけれどもです。今、豊美の例と、若先生の例をちょっとひかせて頂きますとです。それでいて、私の思う以上の所に考えもつかない所に、働きをしてくれておるとゆう事です。
 豊美の場合なんかは本当になる程、それがおかげであったとゆう事を、又自分もそれをおかげとして、受けとめていきよるとゆう事をです。感じます。
 だから神の気感に適う信心とはね、そうゆうものの見方、考え方、生き方なんです。そんならそれでいてですよ。やっぱり人間ですから、そんならやっぱり、耳納山の山頂ばっかり通って行きよるけん、そげなこつでよかか、とゆう事がないじゃないです。
 けれどもね、けれどもそうゆう時には、いよいよ私がもう一段信心を進めていこうとゆう気になって、私が信心進めていく事がです、神の気感に適うた信心を進めていく事になるのだと。
 そしてそんなら私がです。これならば、日勝り、月勝り、私の時代に実際、おかげを受けてる訳ですけれども、こうゆう信心を、私は年勝り、代勝りのおかげを頂いていくとゆう事にです。そう信じなければおられない程のおかげをです。そこに神さまが願う以上のおかげをそこに見せて下さるから、なる程これならば、おかげを頂いていくだろうとゆう事になってくる訳です。
 なる程、私共の周辺には、大変お徳を受けられた信者さんやら、先輩やらが、先生方もおられましたけれども、それをですね、あまりにもそれをつかまえといて教えとこうとゆうやうな生き方でいかれたところにです。かえって、二代、三代になって御比例が落ちたりしておるとゆうのはです。そうゆう自然にゆうならば成り行きに反した神さまの本当の働きに反した、やはり、信心ではなかったろうかとゆう風に、私はここにそうゆう結論が出てくる訳です。
 ですから、結局云うならば、私の生き方こそ、神の気感に適うた氏子だとゆう風に私は思う訳なんです。成り行きを大事にして、いよいよ和賀心を求めての信心、こうゆう信心なです。なる程、子供にも孫にも伝わっていくであろうと、無理がないから‥‥‥。
 しかも、そこにはです。人意とゆうものがない人間の考えといったやうなものがない。人為的なものが無い。人間心を使うていくところのものがない。
 だから、神さまが育てて下さるんだな、神さまが孫にも、よりよい信心を与えて下さるなとゆう事が分かってくるのです。
そうゆう風に頂きますと、なる程、一年勝り、代勝りのおかげが受けられる事が出来るなと信じる事が出来ます。けれどもあまりにも私共がここのところを、一辺これを通読致します。この七十八節を通読致しましてです。本当にこれはほんなこて、子供の代から、孫の代まで年勝り、代勝りのおかげが受けられるじゃろうかと、ほんなこつじゃろうかと、それを自分の周囲を眺めた時にです。これはそうとばかりは限らんぞ、とゆう事になってくる。そうゆう疑問を感じなければおられないやうな、云わば、御理解です。
 けれども、これをです。そんなら、私の生き方でいきますとです、それが信じられる。もう子供にもこれだけの信心をひっつかまえて教えとるけん大丈夫と、云うとったっちゃ、ちゃんと交通事故で亡くなっとたらどうしますまい。それはもう大変な徳を受けた先生らしいのですよ、そこの先生とゆうのは。
 さあ信心を本当にさせとかにゃならんと云うて厳しい教会にやらしゃったばっかりに、ちょっと変な事になってしもうたとゆう。そうゆう例はしかしいくらもあるとゆう事です。人間心を使うてです。する事がいかに神の気感に適うた氏子、神の気感に適うた生き方、信心の進め方。
 これはそんなら私は上の二人の子供の事を申しましたがです。これは他の御信者さんの上に於いても、修行生の上に於いても、それです。私の生き方は、それはここでこうした方が、自分の顔も立つし、それの方がええとゆう事を感ずる事がたくさん有るのです。本当云うたら、けれども私はそこのところの成り行きを大事にする、とゆう事だけに焦点をしぼっておる。そこんところに、自分の分が悪くなってきた時ほど、自分とゆうものを、いよいよ反省していくとゆう生き方で、私は修行生の方達の上にもそれを実行しておる。
 ですから、そうゆう生き方で私が皆さんの上に浸透していきさえすれば、皆さんも例えばそうゆうおかげが受けられるとゆう事になる訳です。
 もう本当に私は今度豊美の所に行って、それを感じましたんですけん、豊美がそれを本当に実感して云うとです。私がもし料理やら学校にでん行って出来とったら、もう本当にそれだけでも調和がくずれるじゃろうとゆう意味の事を云う本当にしらんもんじゃけんやはり、習わにゃ出来ん、それでもう暇な時はおばあちゃん達二人がして下さるそうです。それで豊美さんはまあ、見とかんのとゆう位で助手位のもん、そして皿どん洗う位の事であって。
 まあ、そればってんあっちの大事な皿とか器類は一辺どおりは割ってしもうたと、自分で言いよりましたがねぇ、自分はどうしてこげんそそっしかじゃろうかとこいよりましたが、しかしそのおかげで、まあ新しいよい品物を頂いとったつを使う事が出来ますと、おばあちゃん言よりなさいましたが、それはもう本当にそそっかしい事も何も出来なかった事もおかげ。
 そしてこれだけは好きだから稽古させてくれと云うて稽古させて頂いたものが、もうつれに生きておるとゆう事です。
 そこにね、私の云うならば信心の進め方、又そうゆうおかげをね、ここのお広前でも同じ事が云えます。私の出来ない事がかえっておかげの元であると云えます。私の出来ない事がかえっておかげの元であるとゆうおかげを頂いとりますから。
 神の気感に適う信心とゆうのは、そうゆう信心じゃなかろうか、だから神の気感に適うた信心すればです。最後の所にある、おかげが受けられるのだと、しかもそんなら、私の場合は、子供の上にそれを見る事が出来る、ははあ、こうゆう風にしておかげとゆうものは浸透していくものだな、これだったら、なる程子の代、よりも孫の代と伝わっていくだろうなあとゆう事をです。私は感じるのです。どうぞ。